衛藤内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策) 記者会見要旨 2020年02月14日 - ●1.発言要旨 ●2.質…

掲載日: 2020年02月14日 /提供:内閣府

衛藤内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和2年2月14日

(令和2年2月14日(金) 9:15~9:31 於:中央合同庁舎第8号館1階S103記者会見室)

1.発言要旨


沖縄担当大臣として御報告申し上げます。
明日15日(土)から16日(日)にかけまして、沖縄を訪問させていただきます。
就任後5回目となる今回の訪問では、宮古島、石垣島、与那国島を訪れまして、平良港や下地島空港といったインフラの整備・活用状況や、あるいは海業センター、製糖工場、それから長命草加工処理施設を始めとする産業の現場、そして、「子供の居場所」などの各種振興策の現状を視察するとともに、首長の方々等と懇談をさせていただく予定であります。
明日は非常に朝早く、6時40分の宮古行きで出ますので大変でございます。どうぞよろしくお願いします。

2.質疑応答

(問)少子化対策についてお伺いします。少子化社会対策大綱では、少子化に歯止めを掛けるための道筋を示す予定だと思いますが、柱になる項目はどのようなものを現時点では想定されていますでしょうか。
また、大臣は、多くの子供を持つ世帯に児童手当を拡充したいとの考えをお持ちだとは思いますが、財源の課題が指摘されています。実現に向けて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
(答)少子化大綱の策定に当たりましては、やはり大きな原因は、未婚化・晩婚化、そして、もう一つは核家族化に伴う子育ての困難さというところが一番大きな原因だと思っております。
そんな個々人の結婚や出産、子育ての希望の実現を拒む隘路を一つ一つ、丁寧に解決していきたいと思っておりますので、そういう中で、今、昨年の暮れに有識者からの提言を頂きましたから、この大綱の策定に向け、今いろいろな議論をしているところでございます。まだ個々の問題についてコメントさせていただけるという状況ではないと思っております。
いずれにいたしましても、例えば、フランスが少子化を克服した一つは、一子は毎月0円でしたけれども、二子目からは2万円ぐらい、それから三子目に3万5,000円と、やはりこの現金給付等をずっとやったということはもう言われているところでございます。
ただ、今、そのフランスも、もっと子育てしやすい環境を作らなければいけないということで、子育ての具体的なサービス提供の拡大を一生懸命やろうとしているような感じがいたします。そういう意味で、いずれにしても、バランスのとれた、現物給付と現金給付をうまく組み合わせていかなければいけないだろうということだけは総論的に申し上げられるのではないのかと思っております。
そういう中で、いずれにしても、この少子化大綱を作る中で検討される。とりわけ、財源の問題も大きく検討されると思います。財源の問題の検討になってきたときに、やはり相当大きな問題になったときに、国を挙げての本格的な議論をしていって、産業界も労働界も入れて、国民の皆さんが本気でこの少子化対策に取り組んでくださるということの確認ができなければ、この財源問題にはおそらく誰も納得してくれないだろうと思います。
また、そのためには、現状に対する認識を強くしていただいて、共有していただいて、そして、共に本気で少子化対策を再スタートするという。一応のスタートは平成6、7年ぐらいに最初のスタートがあって、それから、2段階目が無償化の問題だったとかで、もう一回、再度総合的に、希望出生率1.8必達のためにやるという最後の状況にかかっていると思っておりますから、国民的な合意が極めて大事だと、今お話のございました財源の問題は大変だということについては、もうそのとおりでありまして、その合意なくしておそらく進まないだろうと覚悟いたしております。
(問)北方領土の関係でお伺いしたいんですけれども、ロシアが憲法改正の手続を今進めていて、その中で「領土の割譲を禁止」という項目を盛り込むかどうかということで俎上に上がっているんですけれども、これがもし決定されると北方領土の関係にかなり影響してくると思うんですけども、その点について大臣の受止めをお願いします。
(答)日本とロシア、ソビエトの間は、ウルップとの間の国境を決めるという問題以来、国境の変更は何度かずっとあっています。千島・樺太交換条約、1875年とか、いろいろな形でずっと来てますから、やはり話し合いのできる環境をどう作っていくのかということは最も重要だと思います。
それから、世界史的な流れでいけば、ロシアはずっと世界最強の陸軍大国として、南下政策をとってきたわけでありますけれども、それが米ソ冷戦が終わった時点で、一応これが終結をいたしておりますので、日本とロシアが長期的に見れば話し合いのできるという状況になっていますが、まだまだ米ソ冷戦時代の残影が強く残っています。ですから、そういう中で、この平成の時代に、東ヨーロッパでもいろいろなことが起こっていますけれど、ロシアとはどこかで本気で腹を割って話せることを作ろうということで、それで4年前の、長門での、プーチン・安倍会談があったものと理解いたしております。
いろいろなことがずっと覆いかぶさって、いろいろな問題を起こすかもしれないけれど、長期で見れば、本気でどういう状況を作っていくのかということを総理は考えているんだろうと推察いたしていますし、我々もその方向で頑張っていかなければいけない。ですから、その中で北方対策担当としては、いかに親善関係を深めていって、その話し合いができる基盤を作り上げていくのかというのが、私どもの内閣府に与えられた使命だと思っております。
(問)大臣、勤続25年の表彰を迎えられたと思います。この間、郵政選挙の時は党を離れられたこともありましたし、総理が政権に復帰されてから首相補佐官としてお支えになったこともあったと思うんですけれども、この間の政治活動を振り返っての所感をお伺いできますか。
(答)一番面白かったと言ったら悪いですけども、平成2年に初当選なんですが、平成5年の選挙で安倍総理が当選してこられました。その5年の選挙で自民党は下野しました。下野した中で政権を取り戻すためにいろいろなことをやって激しく戦いました。私はまだ2期生になったところでしたけれど、そんな中で平成6年に、当時8党連立政権から政権を取り返して、自社さ政権を作りました。その中で私も必死で頑張ってきて、その後、僅か2期生で自民党の社会部会長に任ぜられました。その時の一番大きな使命は、自民党にとってみたら、昭和の時代からの大転換ですから、外交は読み切れませんでした。米ソ冷戦が終わったけれど、どういう具合に動くのかということについて読み切れなかったけれど、正に結果から見れば、ハンチントンが言ったように文明の衝突の時代だったと思います。
そんな中で自民党は大きな政策転換をしました。結果的に見れば、この政権は保革連立政権です。自社さを作ったのはですね。そして、その中で懸命に戦ったのは、社会保障制度を何とかやり遂げていきたいと、少子高齢化社会を本気で乗り切ろうということに決意をしてやりました。
社会部会長になった時に、最初の加藤政調会長との間でいろいろな話をしたことは、財務省、当時は大蔵省だったんですが、それから厚生省と話をさせていただいて、本気で少子高齢化社会を乗り切るためには、昭和の時代の生産者優先の形から、社会保障に一気に、消費者というか、国民にぐっと振り向けるということに、大きな流れを変えなければいけない。そのためには少子高齢化社会を乗り切るためのことをちゃんとやらなければいけないということでやっていたわけですから、一体どれぐらいお金が掛かるんだろうかと試算をしてもらったところ、30年間毎年プラス1兆。1兆ずつ上乗せしていかなければ乗り切れないだろうということの回答でしたから、それでも私が計算できるわけではありませんから、お役人さんがはじいてくれたんですけれど、財務省と当時の厚生省です。大体加藤政調会長と話して、毎年8,000億のプラスオンをやるということを、そして少子高齢化社会を乗り切ろうということの党としての決定を頂いた、このことが一番大きかったと思います。もちろん介護保険導入の時、「部会長、往生際が悪い、すぐ辞めてしまえ」というのを会議の度にやられながら、ずっとやってきたことも思い出ですが、そこが一番大きかったのではないかと思っています。
そういう意味でこの平成の時代というのは、この前、前原さんにも指摘されましたけれど、結局、当時、世界企業の中でベスト10に日本は7社入っていた。ベスト50には32社入っていた。今はベスト50に1社だけだと、よくよく見ると増えたのは社会保障だけで、あとは全部一緒ではないのか、と言われたら正に真実だと思いますが、そういう具合にしてみんなで社会保障制度をしながら、やっと乗り切ってきたというのは最も大きな感銘という感じです。
ですから、この間の社会保障は少子化対策もやりましたけれど、それは効果は余り現しませんでした。それで、安倍総理が中心になって、この無償化の問題を大きく切り込んだ。これは今までの中で見ると非常に画期的だったと思います。第1期でやったのは育児休業補償制度と、保育の充実、それから子育て支援センターの充実、相談業務をちゃんとやるというこの3つが柱だったんですけれど、それだけではやはり足りなくて、総理がこれだということで第2段階の踏み込みをしてくれたのです。しかし重点は、とにかく高齢化社会をどう乗り切るか。年金改革、医療制度改革、そして介護保険の導入というのは、この高齢化社会を乗り切るための最低の必要条件でしたから、そのために懸命に頑張ってきたというのが、平成の時代の国の大きな流れではなかったのかと思います。その中に我々も関与させていただくことができたということで、大変感謝申し上げていると、政治家として非常にありがたいと思っている次第であります。
障害者問題への予算も四、五倍ぐらいにできましたので、これも忘れたら障害者団体から叱られるかもしれない。どうもありがとうございました。

(以上)

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