経営者インタビュー

い志井・石井宏治社長~“のれん”が「日本再生酒場」を生み、“三方よし”の精神が多業態を育てた

2018年07月03日

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石井宏治(いしいひろはる)…1954年、東京・中野生まれ。日本大学を卒業後、25歳で単身渡米。帰国後、26歳の時に自身の父が創業した『もつやき処い志井』ののれんを受け継ぎ『やきとり処い志井』を開業。その後、洋食、和食業態も展開し、FCにも力を入れる。2018年現在、直営で15店舗、のれん分け、FC、準FCで115店舗を展開中。

1950年創業の「もつやき処い志井」を受け継ぎ、のれんを守りながらも攻めの姿勢を崩さず、立ち飲みブームの火付け役となった株式会社い志井。「日本再生酒場」や洋食業態「クリスマス亭」など数多くの人気店を生み出してきた同社の石井宏治社長は常に父の背中を見ながら育ち、経営者としては周囲のお客さんに育てられてきたという。石井社長が大切にしているのは「謙虚さ」と「感謝の気持ち」、自身のこれまでを振り返りながら、飲食店経営に欠くことのできない「想い」について大いにお話いただいた。

自分の店を出して痛感した、「のれん」の重み

【Q】ご実家がモツ焼き屋をされていたんですね?

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株式会社い志井 石井宏治社長

私が生まれる4年前に父と母が、東京・中野でモツ焼き屋「い志井」を始めました。といっても、最初は人の家の軒先を借りて、その家の壁に取り付けた折りたたみ式の屋根とテーブルを引き出し、4人がやっと立って飲めるような店でした。

その後、私が生まれる年に中野駅からほど近い新仲見世商店街というところに移って、やっと7坪ほどの店になりました。

【Q】石井社長は店を継ぐつもりはあったのでしょうか?

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料理も好きでしたし、飲食店をやること自体に抵抗はありませんでした。その頃は中野から調布へ店を移転していて20代前半は父の店で働いていたのです。でもその時は継ぐ気はまったくありませんでした。

理由は単純で、20代前半の若者にとっては、お客さんの層もおじさんばかりで、たまに「ここのモツ焼きは最高だ」と言われてもそれほどうれしくなかったからです。もっと女性にモテるようなかっこいい店をやりたいと思っていました。

そうした事もあって店の方針については父と仲違いばかりで。見かねた母から「お父さんとお店のことで喧嘩ばかりしているんだったら、自分の実力がどの程度か自分でやってみなさい」と言われ、母が自宅を担保に銀行からお金を借りてくれたんです。


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