企業インタビュー
2018年01月23日
貫啓二(ヌキケイジ)…1971年、大阪府生まれ。高校卒業後、トヨタグループの企業へ入社。27歳で退職し、大阪・心斎橋でBARを開く。数年後、東京・青山で京懐石料理店を開き話題となるが、業績は徐々に低迷。さらにリーマンショックで業績が悪化。再起を掛け2008年に串カツ田中を開業する。2016年には東証マザーズへ上場を果たし現在に至る。
2008年12月、世田谷の住宅街に1軒の串カツ店がオープンした。「串カツ田中」の1号店である。以来、破竹の勢いで成長を続け、2013年には「外食アワード」を受賞し、2015年には100店舗を達成、2016年には東証マザーズへの上場を果たした。そして2018年12月には串カツ田中1号店のオープンから10周年を迎える。
開業以来、一貫して串カツにのみ愛情を注ぎ、そのブランドを広く浸透させていった株式会社串カツ田中の貫啓二社長。串カツ田中が10年目を迎えるこのタイミングで、その足跡をご本人に振り返っていただくとともに、飲食業界全体のこと、そして串カツ田中の今後の展望について大いに語っていただいた。
【Q】串カツ田中1号店である世田谷店オープンの経緯を教えてください
1998年にそれまで勤めていた会社を辞めて、未経験ながら大阪で飲食業を開業しました。それから10年間で業態を変えながら、東京にも進出しています。しかし2008年のリーマンショックで業績が悪化して、会社自体が倒産しそうになったんです。今振り返れば“暗黒の10年”でしたね。
株式会社串カツ田中 貫啓二社長
大阪へ撤退する準備をしている最中に、田中(現在の副社長)の亡き父が家で作っていた串カツの秘伝レシピが見つかりました。
実は、田中は子供の頃から串カツが好きで、ずっと父親の味で串カツ屋をやりたいと言い続けていました。しかしレシピ自体が見つからず、昔の記憶を頼りに10年ぐらい試作を繰り返していました。しかし何度やっても満足のいく味にたどり着けず、もちろん開業にも至りませんでした。
見つかったレシピのおかげで、やっと昔懐かしい味を再現できる状態になったのです。
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