経営者インタビュー

ロードサイドは郊外の銀座。一見不利な国道沿いの居酒屋で集客する〜海帆・久田敏貴社長

2017年12月07日

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久田敏貴(ひさだとしたか)…20歳の頃に旅館に就職し、25歳で家業の鮮魚卸売業を継ぐ。魚の販路拡大を考え、34歳のときに居酒屋「なつかし処 昭和食堂」を開店。以降、愛知県郊外のロードサイドを中心に短期間で出店を繰り返し、現在は東海エリアで15業態108店舗(2017年11月末時点)にまで拡大している。

60年以上の歴史がある鮮魚卸売業から、新しい事業展開として居酒屋業態「なつかし処昭和食堂」を2003年4月始めた、株式会社海帆(かいはん)の久田敏貴社長。飲食店の経験がなかったにも関らず、会社は成長し、2015年4月には東証マザーズへ上場した。ロードサイドでの居酒屋展開という一見不利な環境も、それを強みに変える戦略を打ち出すことで、ライバル不在、人材確保がしやすいなど様々なメリットがあるという。久田社長に、ロードサイド展開における秘訣を伺った。

【Q】飲食業をはじめられたきっかけはなんでしょうか

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株式会社海帆 久田敏貴社長

20歳の時、叔母が経営する旅館で働き始めました。ところがその5年後に父が病気になり、家へ戻って実家のマグロ・カジキの専門卸売業を継ぐことになったのです。急な話でしたが、もともと小さい頃から市場に出入りしていて、高校の頃にはマグロの解体ができるほどでしたので、親しんだ業界ではありました。

仕事も順調で27歳のときに会社を拡大し、鮮魚の総合卸として株式化しました。そして魚屋としての商売を拡大するために、自分でも飲食店を始めようと思い立ち、34歳のときに「なつかし処 昭和食堂」(以下、昭和食堂)を立ち上げたのです。

【Q】1店舗目から幹線道路沿い、いわゆるロードサイドに出店されていますね

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それには2つ理由があります。ひとつは、はじめに見つけた物件が焼肉屋の居抜き店舗で、家賃が安かったことです。ただ家賃とは別に権利譲渡が数百万掛かってしまいました。

厨房設備もそのままだったので、そんなものかと契約したのですが、後から考えると設備も焼肉用だったため、ほとんど作り変えましたし、今なら絶対に契約しないと思います。これは単に、私に飲食経験がなかったことが原因で、本当に勉強不足でしたね。



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