企業インタビュー
2017年07月28日
太田剛(オオタツヨシ)…1961年兵庫県神戸市生まれ。大阪経済大学経営学部卒業後、ダイエーの子会社だった(旧)株式会社ハブに入社。98年に現在の株式会社ハブが設立され、取締役営業本部長等を経て、2009年に代表取締役社長に就任。
1980年に神戸・三宮に1号店を出店した英国風パブ業態のHUB。その後、幾度かの事業譲渡といった逆風にさらされるも着実に成長を続け、2017年に100店舗を達成している。英国のパブ文化を日本に広めることの難しさと、それでもなお前進し続ける原動力について、株式会社ハブの太田剛社長に伺った。
【Q】入社のきっかけを教えてください
株式会社ハブ・太田剛社長
私が今の前身にあたる株式会社(旧)ハブに入社したのは、大学卒業してすぐの1983年、22歳のときです。当初は飲食業というのは考えていなかったんですが、色々就職活動するなかでハブの会社説明会に行き、小売業のダイエーが新規事業としてスタートしたばかりの飲食店で、今後10年で1000店舗を目標にしていると聞きました。
当時のダイエーといえば、一番元気が良かったときで、私が尊敬する経営者の中内社長がやるといったらほんまに実現するだろうなと。入社したのも、中内社長がやっている事業だから、挑戦したかったというのもあります。
【Q】入社当時、パブについてどのような認識だったのでしょうか?
当時はパブ文化には詳しくなくて…。パブに抱いていたイメージといえば、キャッシュオンデリバリー(カウンターで1杯ずつ注文する)で、お酒もビールしかなく、フードメニューもつまみ程度しかない店という程度でした。
しかも1980年代と言えば居酒屋全盛の頃で、酒の席といえば、じっくり腰を落ち着けて夕食を食べながら飲むスタイルが常識でした。そう考えると当時の日本人のニーズにはまったく応えられないビジネスだったんですね。
結局、私が入社した3年後の1986年に、旧ハブは事業清算されダイエーグループの(株)キャプテンクックに事業部として統合されます。そして1998年、再びダイエーの子会社として現ハブへの再生を果たします。
【Q】紆余曲折の中で、どんなことを考えられていたのでしょうか
旧ハブ時代に、店舗の利益が上がらないときに、私も含め社員が口を揃えて言ったのは『食事メニューをがんばりましょう』ということでした。それから、お客様からキャッシュオンデリバリーは面倒と言われたから、フルサービスにして、その分単価も上げるべきだと。
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