企業インタビュー
2013年09月15日
情報Martの人気コーナー「カリスマ社長訪問記」が、「トップインタビュー」に名前を変えて今月よりリニューアルスタートします!その第1回を飾っていただくのが、このおちゃらけた表情をした男性。その正体は、いま外食業界が最もアツイ視線を送る若手リーダー、株式会社サブライムの花光雅丸社長です。
2006年の会社設立以来、「ととしぐれ」「生ハム」「エビス」など、数々の飲食店をオープン・プロデュースしてきたサブライム。今年2月には、「ひもの屋」を運営する八百八町の買収で業界に衝撃を与え、創設7年目にしてグループ全体で店舗数200超、グループ売上高100億円を超えた成長No.1企業です。
指揮をとる花光社長は現在32歳。早くもジャパニーズドリームを手に入れたかのように見えますが、当の本人は「まだまだ助走段階だ」と言います。そして、「1兆円企業を目指す」というその強気の発言の裏にある意外な思いに迫りました!
【Q】花光社長はどんな幼少時代を過ごされたのでしょう?
小学生の頃は学校が終わってから、毎日、塾とかピアノとかそろばんとか、いろんな習い事に通っていました。自分で考えて動くというより、親の敷いたレールの上を歩いているような子供でしたね。でも、あるときから「言われたことをやるのは嫌だ」って思うようになって、やらなくて済む方法を考えるようになりました。
幼少期の経験で一番影響が大きかったのは、小学校の6年間やっていた新聞配達ですね。1枚配って何円かの世界ですが、労働に対してお金が入ってくる、労働の価値というものを理解できたというか。小学生の頃からお金を増やすのがおもしろかったです。貯金通帳も持っていましたから。
【Q】大学で東京に上京され、卒業後には地元に戻ってすぐ屋台バーをオープンされていますね。
地元の和歌山で親父が事業をやっていて、それを継げといわれるのが嫌だったんですよ。それより自分で起業したかったので東京行きを決めました。
それで、大学時代にバイトで1000万円を貯めて、卒業したらすぐに和歌山で屋台バー「サブライム」をオープンしたんです。車を改造して屋台を作って、焼きそばとかお酒とかを提供していました。もともと夏の間の2ヶ月限定のつもりだったからすぐにクローズしましたけど、150万円ほど稼ぎましたね。で、「これは東京でもいけるな」と。
東京に戻ってからは、当時飲食業界で一番伸びていた株式会社レインズインターナショナルに入社しました。どういう成長戦略をしているのか知りたかったんです。レインズには1年間お世話になりました。
【Q】そして、2005年に「沖縄鉄板屋台 subLime」で起業されましたね。卒業されてからわずか1、2年の間にものすごいスピードで行動されて、すごいですね。
1店舗目のお店は吉祥寺(東京都)だったんですが、和歌山のときと同じトラックを持ってきて屋台バーをやったんです。広さはたった3坪でしたね。
でも、全然すごくないですよ。飲食店の1店舗のオーナーだったら、誰でもできると思ってるんで。死ぬ気でやればね。だって、自分の給料は売れれば売るほどあがるけど、売れなかったらゼロでも働けばいいんですよ。自分で「やりたい」って言って、リスクをとって始めたんだから、四の五のいわず働け、と。死ぬ気で働いて1店舗を運営できなかったら、「もう、やるんじゃねー(笑)」と思いますね。
【Q】おぉ、厳しいですね。つまり潰れるようなお店はさぼっているのではないかと・・・。
さぼっているとまでは言いませんが、だいたい初期段階で間違っているのかもしれません。最初にむちゃくちゃ投資して、高い家賃で、料理の値段をあげて、売れないスパイラルに入っていくお店が多いのだと思います。
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