食の研究所

侮るな!胃の中で真価を発揮する日の丸弁当~梅食文化の発展と危機

漆原 次郎(フリーランス記者)  2016年06月20日

和歌山県の梅林。みなべ町にて

農民の窮状を考慮してか、藩主だった安藤直次(1554-1635)も梅の栽培を農民に奨励し、保護政策をとった。栽培されたのは「やぶ梅」とよばれる果肉の薄い小粒の梅ではあったが、それでも生活に苦しんでいた農民は大切に梅を育てたに違いない。このような経緯で、いまの田辺市やみなべ町を中心に和歌山県では梅の栽培が盛んになっていった。江戸時代中期にもなると、紀州産の梅干が江戸にも送られていったという。日持ちするのも梅干の特徴だ。

もうひとつの発明品「日の丸弁当」

梅と同じく梅干も最初は中国から伝わってきたと考えられている。だが、その後、しその葉で赤くした梅が誕生したり、消費を支える梅の産地が誕生したりして、梅干は日本独自の食べものになっていったのである。

もう1つ、梅干が「日本的」な印象を与える要素として「日の丸弁当」を取り上げなければならない。「日の丸」だから「日本的」ということもあるが、それだけではない。

考古学者の樋口清之は、著書『梅干と日本刀』(祥伝社新書)で、米を主食とし、おかずを副食とするのが、日本の食文化の特徴だと述べる。そして、その例として日の丸弁当を挙げるのだ。

<大量の白米とひと粒の梅干だが、これが胃の中に入ると、この梅干ひと粒が、九九パーセントの米の酸性を中和し、米のカロリーはほとんどが吸収される役割を果たす>

この組み合わせは飽食の現代では太ってしまうと心配になるが、樋口は「必要なカロリーを摂るという意味では、日の丸弁当は、近代的な進んだ知恵」と続ける。

日本の象徴的な食べものとなった「日の丸弁当」

日の丸弁当については、1904(明治37)年からの日露戦争のころ、陸軍大将となった乃木希典(1849-1912)が好んで食べていたことから、人気に火がついたとされる。

いまでは日の丸弁当を常食とする人は見かけなくなった。それでも「日の丸弁当」と聞いてその絵を想像することができる。ご飯食文化のなかで梅干の果たしてきた役割の大きさを感じさせる。

健闘している国産の梅に突然の危機が

もともと梅干は保存食ではある。だが、現代になり流通網が発達することで、各地で作られた梅干が各地で食べられるようになった。梅の産地では、和歌山県の「南高」や「小粒南高」、関東の「白加賀」、福島県や岩手県などの「養老」といった品種の登録が進み、梅干のブランド化も進んだ。

近年、梅(果実)の国内生産量は1970年代の約6万トンから、1990年代の12万トンに倍増した。直近の2015年は約9万8000トン。ピークからは減っているが、嫌塩志向が進む中でも安定した消費量を保っているといえるのではないか。自給率も、国内の梅が不作だった2003年には約5割まで落ち込んだが、最近では6~7割を保ち、国産の優位ぶりが見られる。

ところが、だ。2009年、日本の梅に突然のように問題が降りかかった。葉や花弁などに斑点が生じる梅の木が次々と見つかるようになったのだ。これは梅の木に広がる感染症で、感染源は「ウメ輪紋ウイルス」とよばれる。有効な対策はこれまでのところ伐採処分しかなく、実際に一連の感染が発覚した東京都青梅市で梅の木3万本以上が伐採されるなどしている。

いま、にわかに、そして静かに進んでいる日本の梅の危機。梅の実や梅干への影響はどうなのだろうか。後篇では、この危機の現状を伝えたい。

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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