食の研究所

侮るな!胃の中で真価を発揮する日の丸弁当~梅食文化の発展と危機

漆原 次郎(フリーランス記者)  2016年06月20日

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梅干を食べている人の顔は、梅干と同じようにしわくちゃだ。食べるたびにしかめ面になりながらも、私たちは梅干をよく食べる。弁当箱を開ければ、白いご飯の真ん中には梅干がぽつん。おにぎりではいまも梅干は定番だ。梅干をさらに干からびさせた「干梅」はコンビニエンスストアですぐ買える。

梅干や梅と聞くと「日本的」という印象をもつ人は多いだろう。英語でも“Japanese Apricot”(日本の杏子)と言うから、海外でもそのように認知されているようだ。では、梅干はどのように日本的になっていったのか。探っていくと、そこにも歴史や経緯がある。

ところが、いま日本的なものの象徴の1つとなった梅に“危機”が訪れているというニュースがある。実際、梅園などでは大規模な強制伐採を余儀なくされた事例も起きているらしい。日本の梅の木に、何が起きているのだろうか。

今回は「梅干」をテーマに、その歴史と現状を見ていきたい。前篇では、日本人が梅干をどう日本的なものにしていったのか、その歴史をたどってみた。後篇では、いま言われている梅の木の危機とはどういうものかを、梅などの植物の研究をする専門家に尋ねてみたい。

「日本の杏子」でも中国原産説が有力

梅は“Japanese Apricot”とよばれるものの、実は中国原産説が強い。大分県や宮崎県で自生していたとする説もあるが、紀元前に中国から水田耕作の技術をもつ人々が日本に渡ってきたとき、稲とともに長江付近の梅も入ってきたと考えられている。

梅からできるのが梅干だ。実を数日間かけて塩漬けしてから天日乾燥させ、梅酢や酒の入った器に漬けこむとで出来上がる。日本では平安中期の村上天皇(926-967)の時代、天台宗の僧だった空也(903-972)が、小梅干を結び昆布とともにお茶に入れ、疫病患者たちに飲ませたという。

ただし、梅そのものの伝来が紀元前であることを考えれば、平安時代よりもはるか前から梅干は日本で作られていたに違いない。植物研究家の有岡利幸は、『梅干』(法政大学出版)のなかで、808(大同3)年成立の医方書『大同類聚方』に見られる「塩梅(しおうめ)」こそが現代の梅干だという説を唱える。『大同類聚方』で塩梅は“たむし”に付ける薬の1つとされているが、江戸時代のたむしの民間療法でも梅干が使われていることを説の根拠としている。

執筆者プロフィール

漆原 次郎(フリーランス記者) 

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。
著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。

<記事提供:食の研究所
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