食の研究所

武士メシに学ぶ(前篇) 長生きの戦国武将は何を食べていたのか

池田 亜希子(サイエンスライター)  2013年04月23日

「信長のシェフ」をご覧になっただろうか。西村ミツル作による同名のマンガ(梶川卓郎画、芳文社『週刊漫画TIMES』)を元に作られたドラマだ。平成から戦国時代へタイムスリップした腕利きのフレンチシェフ「ケン」が、信長の料理人として活躍する話である。全9回の平均視聴率は10.9%と、ドラマ低視聴率の時代ではなかなかのヒットであった。

このドラマをきっかけに調べてみたところ、どうやら最近、武士の料理、つまり“武士メシ”が密かなブームになっているようだと知った。そこで「武士メシに学ぶ」というテーマで武士メシブームを前後篇でひもといてみたい。

 前篇では、厳しい戦国時代における武士メシから、戦うためにメシを食べることの大切さを考えてみる。後篇では、いくつかのレシピとその効能から、武士メシの魅力を探ってみる。

メシ、これすなわち戦略なり

 3月15日に最終回を迎えた「信長のシェフ」。その面白さは、メシを利用した巧みな戦術にあった。現代のパーティーや商談でも、美味しい料理が重要な役割を果たす場面はある。その時のメシは、自分と相手の距離を縮めてくれるツールといったところだろうか。一方、戦国時代のメシは、生き死にかかわる戦略の1つとして利用されていた。

 「信長のシェフ」では、信長が将軍・足利義昭に「朝倉攻め」を了承させるために料理を利用した。ケンは、越前でとれたカニやサバで義昭をもてなす。越前は朝倉義景の領地。そこでとれた食材を義昭が口にすれば、それは朝倉攻めを認める意味になる。義昭もそのことが分かっているから、宴に緊張感が走る。しかし、追い詰められた義昭は、状況にあらがえずパクリ。戦国時代、それなりの地位の者が人前で食事を取る行為には、大きな意味が込められていたのだろう。

 信長が妹婿の浅井長政と戦った「姉川の闘い」でのこと。不利な戦況を悟った信長は、浅井軍に食わす料理を作るようケンに命じる。その真意を汲みケンが敵兵にご馳走したのは、“肉を焼いたにおい”だった。ケンの思惑通り、その美味しそうなにおいで敵兵は戦意を喪失する。人の心理をついた作戦で戦況は変わった。

 食がこれほどまで戦略に使えることを知ると、日々の生活でも何かやってみたくなる。ちょっと刺激的で楽しいかも。そんなスリル感が、武士メシが興味を引く理由でもある。

戦をすれば腹がすく

 「腹が減っては戦ができぬ」という、武士とメシの関係をリアルに表現した諺がある。一方、「戦をすれば腹がすく」というのも真実である。現代人も仕事で戦えば腹はすく。

 2010年8月から2012年4月まで『漫画アクション』(双葉社)で連載されていた「けずり武士」(湯浅ヒトシ作)は、このことを題材にしたマンガだった。

 主人公の浪人・荒場城一膳(あらばきいちぜん)は、悪人斬りの仕事を終えるとメシを食う。本当に美味しそうに食べる姿から、いかに食事が心身を癒やしてくれる存在なのかが伝わってくる。そして、人斬りから手を引きたいと考えている一膳が、少し可哀想にも思えた。マンガは、黒船の到来により、一膳がもっと大きな世界と対峙しなければならないと思ったところで終わる。

 現代人は本当に意味のあることに身を削り、それを旨いメシで取り戻しているだろうか。

武士メシが注目される理由(1)~サバイバル料理である

 「信長のシェフ」に登場する料理は、平成のフレンチシェフが作る華やかなもので、当時にはないものも多かった。しかし、食事が戦略として積極的に利用されたのは事実である。

 一方、「けずり武士」の料理は、江戸時代の食生活を思い起こさせてくれる。魚介や野菜がたっぷり入った煮凝りは、江戸時代に寒天が発明されたことで食べられるようになった。切り口が徳川家の葵の御紋に似ているという理由から、武士はキュウリ揉みを食べなかった。“凍み豆腐”が豆腐とは別物として旨い食材であるように、人生もやり直せたら・・・などと、食と生き様をなぞらえたりもする。

 どちらのマンガも、食の奥深い一面を描いていたから注目されたのだろう。

 武士メシが注目されるのは、ほかにも現代人の食生活に取り入れられる知恵が多いからだろう。その1つが、厳しい時代を生き残るための“サバイバル料理”だということ。もう1つが、長寿料理だということである。

 西武文理大学客員教授の永山久夫氏は、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」や「春日局」などで当時の食膳の再現や時代考証を行った食文化史研究家である。著書『武士のメシ』(宝島社)によると、毎日の食事は「いざ合戦」に向けた体づくりの糧として、また、携帯メシは戦場で活力源として大事だった。食事を疎かにする強将はいなかったという。

 例えば、50代半ばに天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、体力維持のため「虎の肉」を食べていた。「虎は千里往って千里還る」という言葉からの験担ぎだったようだが、秀吉は実際に鶏肉やニンニク、ネギ、生姜などの強壮食を取っていた。石田三成も腹を下したときニラ粥を食べていたという。武士は自らの弱い部分を補い、生き延びていくために食事を重視していた。

 携帯メシの代表には、「兵糧丸」がある。本書で紹介されている「永山流兵糧丸」は、白玉粉、小麦粉、そば粉、きな粉、すりごまを練ってつくられる。白玉粉や小麦粉、そば粉に含まれる炭水化物は、ブドウ糖に分解され燃焼することで、体や脳のエネルギー源になる。そのほか、そば粉には血管を丈夫にするルチンが、また、きな粉にはストレス軽減に働くセロトニンの原料のトリプトファンが含まれている。永山氏は、「まさに体力と脳力を高めてくれる栄養の塊であり、現代人にとっても理想的な行動食」と述べる。災害時に役立つことも多いという。

武士メシが注目される理由(2)~武将の多くが長寿だった

 戦国武将たちが、死ぬか生きるかのストレスを抱えながらも長寿だった点も注目されている。『武士のメシ』によると、平均寿命37~38歳と言われた時代に、豊臣秀吉は63歳、伊達政宗は70歳、徳川家康は75歳まで健在だった。それぞれの武将が、地のものを中心にバランスのいい食事をしていたようだが、その共通点を永山氏は7カ条にまとめている(下の表)。

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永山氏による「戦国武将に学ぶ! 長寿になれる食術の秘訣七カ条」(出典:永山久夫著『武士のメシ』)

 特に注目なのは、多くの武将が玄米めしを食べていたことだという。玄米は、その主栄養素の炭水化物がエネルギー源になる際に必要なビタミンB1も含む、優れた食材である。さらに、玄米を炊く前には一晩水に浸けることを勧める。米を長時間水に浸けると、内部に含まれるアミノ酸がギャバに変質する。ギャバはイライラや不安を取り除き、脳内細胞の代謝を促進する効果がある。つまり、ストレスを減少させる効果がある。

知るや知らずや、戦国武将たちは理にかなった食事をしていたのだ。

 まだまだ知りたい方は、ぜひ下記書籍もご賞味あれ。
『あなたの知らない!リアル戦国読本』(「歴史の真相」研究会著、宝島社)
『武士の料理帖』(柏田道夫著、毎日コミュニケーションズ)  

 後篇では、いくつかのレシピとその効能などを紹介して、武士メシの魅力に迫りたい。

執筆者プロフィール

池田 亜希子(サイエンスライター) 

東京工業大学大学院修了後、三菱化学(現田辺三菱製薬)の医薬品安全性部門に勤務。薬の安全性について調査、病院への啓発活動を行う。TBSラジオに転職し、「人権トゥデイ」「グッドモーニングジャパン」などの番組取材・レポートを行う。現在は、取材・執筆力と科学的な素養を生かし、サイテック・コミュニケーションズ社にてサイエンスライターとして活動している。

<記事提供:食の研究所
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